天日製塩施設、サラン ‐ レ ‐ バン大製塩所からアルケ ‐ スナン王立製塩所まで
From the Great Saltworks of Salins-les-Bains to the Royal Saltworks of Arc-et-Senans, the Production of Open-pan Salt

概要

サラン‐レ‐バンからアルケ‐スナンに至る一連の製塩関連施設は、フランス東部フランシュ=コンテ地方に残る製塩の歴史を伝える世界遺産です。1982年に登録され、2009年にはサラン‐レ‐バンの大製塩所を含む範囲拡大が行われました。建築家クロード=ニコラ・ルドゥーが手がけたアルケ‐スナン王立製塩所は、労働の合理的な組織化を目指した先進的な産業建築として知られています。

基本情報
フランス
1982年:新規登録,2009年:範囲拡大
検定ではここを覚えよう
  • 保有国: フランス
  • 登録状況: 1982年:新規登録,2009年:範囲拡大
  • 区分: 文化遺産
  • 登録基準: (ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)
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詳細情報
クロード-ニコラ・ルドゥによって建設が始まった。
製塩所の周囲に病院や聖堂など円形に配置することで労働組織の効率化を目指したものである。
サラン-レ-バン近郊の地下水からは高い塩分濃度が確認されている
一晩中薪を炊いて水分を蒸発させ塩を生成した。

もっと詳しく

アルケ‐スナン王立製塩所は、1775年から1779年にかけてルイ16世治世下で建設が始まり、建築家クロード=ニコラ・ルドゥーが設計を手がけた。ルドゥーは製塩所を中心に、病院や礼拝堂などの施設を半円形に配置することで作業効率と労働管理を高める都市計画を構想し、さらにこの半円を完全な円へと拡張し、周囲に理想都市「ショーの町」を築く壮大な計画を描いていたが、この理想都市計画自体は実現しなかったとされる。

アルケ‐スナンには自前の塩水源がなかったため、約21km離れたサラン‐レ‐バンの大製塩所から地下水に溶け込んだ濃い塩水(かん水)を木管(後年は鋳鉄管に置き換え)で送る「塩水パイプライン(ソーモデュック)」が1780年から1895年頃まで稼働していたと伝えられる。この送水管は6か所の監視小屋で流量や塩分濃度が管理されていたとされ、当時としては大規模な産業インフラであった。

アルケ‐スナンおよびサラン‐レ‐バンでは、地下水に含まれる高濃度の塩分を大鍋で一晩中薪を燃やして煮詰め、水分を蒸発させることで塩の結晶を得る製法が用いられていた。この製法は森林資源を大量に消費するため、施設は燃料となる薪を確保しやすいショー森林の近くに建設されたことも、立地選定の重要な理由の一つであったとされる。

世界遺産としての登録基準は、(i)人類の創造的才能を表す傑作、(ii)建築・技術上の交流に関する顕著な価値、(iv)歴史上の重要な段階を物語る建築物群、の3つとされる。啓蒙時代の理想を反映した産業建築の先駆けであると同時に、ヨーロッパにおける製塩業の技術と労働組織の発展段階を伝える事例として評価されている。

よくある質問

Q. アルケ‐スナン王立製塩所を設計したのは誰ですか
A. 18世紀の建築家クロード=ニコラ・ルドゥーで、労働の効率化を意識した半円形の配置を特徴とする先進的な産業建築として知られています。

Q. なぜ2つの離れた製塩所が1つの世界遺産になっているのですか
A. サラン‐レ‐バンの塩水をアルケ‐スナンまで木管で送水する塩水パイプラインで両施設が結ばれており、一体の製塩システムとして機能していたためです。2009年の範囲拡大でサラン‐レ‐バン側も登録対象に加わりました。

Q. ルドゥーが構想した理想都市は実現しましたか
A. いいえ。製塩所の半円形配置をさらに完全な円へと拡張し、周囲に理想都市を築く構想がありましたが、この都市計画自体は実現しなかったとされています。

Q. この地域ではどのような方法で塩を作っていましたか
A. 地下水に含まれる高濃度の塩水を大鍋で一晩中煮詰めて水分を蒸発させ、塩の結晶を取り出す製法が用いられていました。

旅行情報

アルケ‐スナン王立製塩所は年間を通じて公開されており(12月25日・1月1日を除く)、開館時間は時期により異なる(1〜3月・11〜12月は午前10時〜午後5時、4〜6月・9〜10月は午前9時〜午後6時、7〜8月は午前9時〜午後7時が目安とされる)。敷地内にはルドゥーの設計案などを展示する博物館や庭園があり、見学の所要時間は2〜3時間程度が目安とされる。近郊のサラン‐レ‐バンの塩の博物館(旧大製塩所)と合わせて訪れることもできる。
写真
天日製塩施設、サラン ‐ レ ‐ バン大製塩所からアルケ ‐ スナン王立製塩所まで
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