土司の遺跡群
Tusi Sites

概要

土司の遺跡群は、中国西南部の山岳地帯に点在する老司城(湖南省)、唐崖(湖北省)、海龍囤(貴州省)という3つの遺跡から構成される世界遺産である。2015年に登録されたこの遺産群は、13世紀から20世紀初頭にかけて、王朝が任命した世襲の地方首長「土司」による統治のあり方を伝える点で共通しており、中国西南部の多民族地域における独自の統治制度の実像を今日に伝えている。

基本情報
中国
2015年:新規登録
検定ではここを覚えよう
  • 保有国: 中国
  • 登録状況: 2015年:新規登録
  • 区分: 文化遺産
  • 登録基準: (ⅱ)、(ⅲ)
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詳細情報
土司の支配の様子が残る遺跡群。
土司とは、王朝によって任命された各地域を世襲制で支配してきた部族の長のこと。
王朝は地方の少数民族に 独自の習慣生活様式を維持することを認めながら、国家統一を目指した。
老司城、唐崖、海龍屯要塞の3つからなる遺跡は、13世紀から20世紀初期にかけての土司による政治制度を表現している。
中国南西部の少数民族文化と、王朝のアイデンティティの間での価値の交換や交流が見られる点で貴重である。

もっと詳しく

「土司」とは、元・明・清の各王朝が、中国西南部の山岳地帯に暮らす少数民族の首長を、その地域の統治者として公式に任命した制度、またはその地位にあった人物を指す言葉である。中央から派遣された官僚による直接統治とは異なり、現地の首長にある程度の自治を認めることで、多様な民族・文化を抱える辺境地域の安定的な統治を図ったとされる。

構成資産のうち老司城は湖南省永順県に位置し、1135年から1728年頃まで彭氏一族の土司が拠点とした城跡とされ、三遺跡の中でも規模が大きく、保存状態も良好とされることから「中国のマチュピチュ」にたとえられることもある。貴州省遵義市の海龍囤は、標高約1,354メートル・周囲との比高約350メートルの山頂に築かれた要塞で、周囲を約6キロメートルの城壁で囲まれた堅固な防御施設として知られる。湖北省咸豊県の唐崖は、精緻な石造の牌坊(記念門)や、通りに沿って形成された「街市型」の都市構造で知られている。

登録基準(ii)(iii)のもとで評価されている。(ii)は建築や都市計画、造園などにおける価値観の交流を示す顕著な例であること、(iii)は現存する、または消滅した文化的伝統・文明の証拠であることを意味する。土司の遺跡群の場合、中央王朝の統治理念と、地域の少数民族固有の文化・慣習とが融合しながら独自の政治・社会システムを形成していった過程が、この二つの基準の根拠として評価されている。

この統治制度は、清代に進められた「改土帰流」と呼ばれる政策(世襲の土司に代えて中央から派遣する流官による直接統治へ移行する改革)によって次第に縮小し、20世紀初頭までにほぼ姿を消したとされる。3つの遺跡は、いずれもこの制度が終焉を迎える前後の時期まで機能していた拠点であり、長期間にわたる統治の実態を考古学的に伝える資料としての価値が高いとされる。

よくある質問

Q. 「土司」とはどのような制度ですか?
A. 元・明・清の各王朝が、中国西南部の少数民族の首長を地方統治者として公式に任命した世襲の統治制度である。中央からの直接統治ではなく、現地首長にある程度の自治を認める形で辺境地域の安定を図ったとされる。

Q. 土司の遺跡群はどの3つの遺跡から構成されていますか?
A. 湖南省の老司城、湖北省の唐崖、貴州省の海龍囤の3遺跡から構成されている。

Q. 老司城が「中国のマチュピチュ」と呼ばれることがあるのはなぜですか?
A. 三遺跡の中でも規模が大きく保存状態が良好とされ、山間部に築かれた広大な城跡としての景観の印象から、そのようにたとえられることがあるとされる。

Q. 土司制度はいつ終わったのですか?
A. 清代に進められた「改土帰流」と呼ばれる政策によって世襲の土司による統治は次第に縮小し、20世紀初頭までにほぼ姿を消したとされる。

旅行情報

3つの構成資産はいずれも中国西南部の山岳地帯に離れて点在しており、一度にすべてを巡ることは難しいとされる。海龍囤へは貴州省遵義市街地から車で数十分程度、老司城へは湖南省永順県城から東へ約20キロメートルとされ、いずれも現地でのチャーター車利用が一般的とされる。
写真
土司の遺跡群
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