ロルシュの修道院とアルテンミュンスター
Abbey and Altenmünster of Lorsch

概要

ロルシュの修道院とアルテンミュンスターは、ドイツ・ヘッセン州に位置する中世初期の修道院遺構です。8世紀に創建され、フランク王国カロリング朝のもとで政治・学問の一大拠点として栄えました。1991年に世界遺産登録され、2011年には登録範囲の拡大が行われています。

基本情報
ドイツ
1991年:新規登録,2011年:範囲拡大
検定ではここを覚えよう
  • 保有国: ドイツ
  • 登録状況: 1991年:新規登録,2011年:範囲拡大
  • 区分: 文化遺産
  • 登録基準: (ⅲ)、(ⅳ)
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詳細情報
カロリング朝時代に政治・文化の拠点として栄えた施設。
聖ナザリウスの遺骨が納められたことで多くの巡礼者が集まった。
フランク王国随一の修道院学校、図書室、写本室がある知の拠点であったが、1564年の解散後の戦禍により現存するのは王の門のみとなっている。

もっと詳しく

ロルシュ修道院は764年頃、フランク貴族カンコルの一族によって創建されたと伝えられています。創建間もない765年、聖ナザリウスの聖遺物がローマからロルシュへ移されたことを契機に、多くの巡礼者を集める重要な宗教施設として発展しました。この歴史的経緯は、当時のヨーロッパにおいて聖遺物の存在が一つの施設の政治的・経済的な地位を左右した典型例として、歴史学上しばしば言及されます。

772年には修道院がフランク王カール大帝(シャルルマーニュ)の保護下に置かれ、王権と結びつくことで大きく発展しました。最盛期とされる800年前後には、フランク王国最大級の修道院付属図書館と写字室(スクリプトリウム)を備え、王国内屈指の学問拠点として機能したと考えられています。数多くの写本がロルシュで製作・保管されていたことが知られ、中世初期のヨーロッパにおける知の集積地の一つであったとされています。

宗教改革の影響を受け、修道院としての機能は1556年から1557年にかけて解体されたとされ、その後1564年にはプファルツ選帝侯によって修道院に残されていた諸権利も正式に廃止されたと伝えられています。こうした経緯と、その後の戦乱による損傷もあって、現在ではカロリング朝時代の建築を伝える主要な遺構として「王の門(ケーニヒスハレ)」が残るのみとなっています。この建物は、ローマの凱旋門を思わせるアーチ型の開口部や半円柱といった要素と、ゲルマン系の伝統的な装飾様式(彩色を施した石積みなど)を組み合わせている点が特徴とされ、カロリング朝建築を代表する数少ない現存例として高く評価されています。世界遺産の登録基準は(iii)「文化的伝統や文明の存在を伝える証拠」および(iv)「歴史上の重要な段階を物語る建築物の顕著な例」が適用されています。

よくある質問

Q. ロルシュ修道院はいつ創建されましたか?
A. 764年頃、フランク貴族カンコルの一族によって創建されたと伝えられています。

Q. なぜ多くの巡礼者が訪れたのですか?
A. 765年に聖ナザリウスの聖遺物がロルシュに移されたことがきっかけとされ、これにより多くの巡礼者を集める施設となりました。

Q. 現存する建物は何ですか?
A. 1556~1557年頃の解体と戦乱による損傷を経て、カロリング朝時代の建築を伝える『王の門(ケーニヒスハレ)』が主要な遺構として現存しています。

Q. 世界遺産の登録基準は何ですか?
A. 文化遺産の登録基準(iii)と(iv)が適用されており、カロリング朝の文化的伝統と建築様式の重要性が評価されています。

旅行情報

ロルシュ修道院は、フランクフルトから南へ電車やバスでアクセス可能なドイツ・ヘッセン州ロルシュ市内に位置しています。現存する「王の門」と、隣接するミュージアムセンターが公開されており、2014年には周辺にカロリング朝時代の荘園を再現した野外博物館「ラウレスハム」と訪問者センターが新設されました。これらは全長約2kmの周遊路「文化と自然の道」で結ばれており、見学ルートとして整備されています。
写真
ロルシュの修道院とアルテンミュンスター
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