紀元前1世紀後半から紀元後668年まで栄えた高句麗王国時代の遺跡群。
3都市に40の古墳群があり、五女山城・国内城・丸都山城のほか、14の王陵と26の貴族墓からなる。
近代都市・集安に位置する国内城は、高句麗の首都が平壌に移った後も、重要な都市としてあり続けた。
高句麗王国の首都の一つだった丸都山城の内外には、広大な宮殿や37の墳墓などさまざまな遺跡が残る。
墳墓には、天井部分を広くするため、柱を使わずに重量のある石を載せた精巧な天井もある。
五女山城は、まだ一部しか発掘が行われていない。
第19代王 好太王(広開土王)の業績を称えた石碑は古代日本を知る重要史料である。