14世紀から約400年間アユタヤ王朝の都として繁栄した都市。
15世紀にはクメール人のアンコール朝やスコータイを併合し勢力を拡大した。
17世紀にはヨーロッパやアジア諸国との交易により最盛期を迎えた。
仏教を厚く信仰し、歴代の王たちは多くの仏像やチェディ、寺院を築いている。
プラ・プラーン様式の寺院やクメールやスコータイのの要素を融合した独自の建築様式の遺跡が残されている。
ビルマ軍の侵攻により王宮は僅かに土台が残されているのみで、横たわったものや首が落ちている仏像などが存在する。
20世紀中ごろから仏像や仏塔の修復が進められている。