イラク北部、砂漠に囲まれて残るパルティア帝国支配下の要塞都市。
紀元116年と198年の2度にわたるローマ軍の攻囲を、高く厚い城壁と塔で撃退したとされる、最初期のアラブ人王国の都とも位置づけられる都市である。
円形に近い都市計画の中心には、太陽神シャマシュを含む複数の神々を祀る
大神殿(グレート・イーワーン)が残り、ヘレニズム・ローマ・東方の建築様式が融合した装飾が施されている。
これらの様式的融合は、ギリシア・
パルティア・ローマ・アラブの文化が交差したことを示すと評価されている。
1985年、砂漠に築かれた円形要塞都市の姿を伝える遺跡として
世界遺産に登録された。
2015年、資産への損壊が確認されたことを受け、
危機遺産リストに登録された。
登録基準はii(文化交流の証拠)、iii(文明・伝統の証拠)、iv(建築・技術・景観の顕著な例)、vi(出来事・生きた伝統・思想・信仰との関連)。
【検定ここが出る】紀元116年・198年のローマ軍の攻囲を撃退した点、2015年に
危機遺産リストへ登録された点が問われやすい。