上都[ザナドゥ]の遺跡
Site of Xanadu

概要

内モンゴル自治区の草原地帯に残る上都(ザナドゥ)の遺跡は、モンゴル帝国の皇帝フビライ・ハンが1256年に漢人の参謀劉秉忠に命じて建設させた都城跡である。1263年から1273年まで首都として、その後は元朝の夏の都として1364年頃まで用いられた。総面積25,000ヘクタールに及ぶ遺構は、遊牧民の伝統と中国式の都市計画が融合した稀有な例として評価されている。

基本情報
中国
2012年:新規登録
検定ではここを覚えよう
  • 保有国: 中国
  • 登録状況: 2012年:新規登録
  • 区分: 文化遺産
  • 登録基準: (ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)
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詳細情報
モンゴル帝国(元)の フビライ・ハンが建設した首都遺跡。
都市及び王族の墓は、北に山、南に川があるなど、中国の 風水思想に基づく南北軸にのっとり建設された。
宮殿と内城は、遊牧民の野営地や王室の狩猟のための区画跡の残る羅城に囲まれている。
モンゴル帝国が北アジアに版図を広げる間、フビライの騎馬隊は中国の農業社会を統一して部分的に農耕文化を融合した。
北アジアにおける遊牧と農耕との文化的融合を示す顕著な例である。

もっと詳しく

上都(モンゴル語などでは「ザナドゥ」とも呼ばれる)は、1256年、モンゴル帝国の皇子であったフビライ・ハンが、漢人の参謀劉秉忠に命じて建設させた都城である。上都は1263年から1273年までフビライ・ハンの首都として機能し、その後、首都機能が大都(現在の北京)へ移ってからは、1274年から1364年頃まで歴代皇帝が夏の間を過ごす夏都として用いられ続けた。

都城および皇族の墓所は、北に山、南に川を配するという、古代中国の風水思想に基づいた南北軸に沿って設計されている。中心部の宮殿と内城は、遊牧民の野営地や皇室の狩猟のための区画が残る外城(羅城)に囲まれており、中国式の都市計画と、モンゴルの遊牧文化に根ざした空間利用とが一体となった、類例の少ない独自の都市構造を持つ。

モンゴル帝国が北アジアへ勢力を拡大する過程で、フビライの騎馬軍団は中国の農耕社会を統一し、遊牧文化と農耕文化の部分的な融合を進めた。上都の遺跡は、この北アジアにおける遊牧民と農耕民の文化的融合を示す顕著な物証とされている。

登録基準(ii)は建築・都市計画における価値観の交流を、(iii)は元朝と関連するモンゴルの文化的伝統についての証拠であることを、(iv)は遊牧文化と定住文化を融合した都市計画を示す顕著な例であることを、(vi)はモンゴル帝国という顕著な普遍的価値を持つ出来事との直接的な関連を、それぞれ評価するものである。

上都の遺跡は、総面積25,000ヘクタールに及ぶ広大な範囲に及び、2012年に世界遺産に登録された。現在は建物の基壇や城壁などの遺構が残る考古遺跡として保存されており、内モンゴル自治区シリンゴル盟正藍旗に位置している。

よくある質問

Q. 上都(ザナドゥ)は誰が建てましたか?
A. モンゴル帝国のフビライ・ハンが1256年、漢人の参謀劉秉忠に命じて建設させた。

Q. 上都はいつまで都として使われましたか?
A. 1263年から1273年まで首都として、その後は元朝の夏の都として1364年頃まで用いられた。

Q. 都市の設計にはどのような思想が使われていますか?
A. 北に山、南に川を配する中国の風水思想に基づいた南北軸に沿って都城と皇族の墓所が設計されている。

Q. 上都の遺跡はどこにありますか?
A. 中国・内モンゴル自治区シリンゴル盟正藍旗にあり、北京から北へ約370km、車で5~6時間程度の距離に位置する。

旅行情報

内モンゴル自治区シリンゴル盟正藍旗にあり、北京市内から車で約370km・5~6時間程度の距離にある。公共交通機関が限られるため、フフホト(内モンゴル自治区の区都)から正藍旗駅まで鉄道で移動し、そこからタクシーを利用するルートなどが案内されている。
写真
上都[ザナドゥ]の遺跡
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