ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム
Mines of Rammelsberg, Historic Town of Goslar and Upper Harz Water Management  System

概要

ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システムは、ドイツ中部ハルツ地方における1000年以上にわたる鉱山開発の歴史を伝える世界遺産です。1992年に登録され、2008年と2010年の2度にわたり範囲が拡大されました。10世紀末の鉱脈発見を機に発展した鉱山町ゴスラーの歴史的景観と、鉱山を支えた大規模な水利インフラが評価の対象となっています。

基本情報
ドイツ
1992年:新規登録,2008年:範囲拡大,2010年:範囲拡大
検定ではここを覚えよう
  • 保有国: ドイツ
  • 登録状況: 1992年:新規登録,2008年:範囲拡大,2010年:範囲拡大
  • 区分: 文化遺産
  • 登録基準: (ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)
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詳細情報
10世紀後半、鉱山の発見による発展した街並みが残る地域
11世紀初頭、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世が採掘した銀から貨幣を作った。
その後鉱山の近く宮殿を建設し、帝国議会を開いた。
13世紀になり帝国議会が開かれなくなった後はハンザ同盟に加わり第2の隆盛期を迎えた。
16世紀、他に採掘権を奪われたため衰退した。

もっと詳しく

ランメルスベルク鉱山における採掘は968年の年代記に初めて記録が残るとされ、以後1988年に閉山するまで、実に1000年以上にわたり銀・銅・鉛・亜鉛などの鉱石が採掘され続けた。考古学的な調査からは、記録に残る以前からさらに古い時代に採掘が行われていた可能性も指摘されている。

11世紀初頭、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世は、ランメルスベルクで産出する銀鉱脈に着目し、鉱山の麓に皇帝居城(カイザープファルツ)を築いたと伝えられる。1009年には同地で最初の帝国議会(ライヒスターク)が開催されたとされ、以後歴代皇帝がたびたび滞在し、産出した銀から鋳造された銀貨はヨーロッパ各地で広く流通したと考えられている。

13世紀に帝国議会の開催地としての役割が薄れた後、ゴスラーはハンザ同盟に加盟し、交易都市として再び繁栄の時代を迎えたとされる。しかし16世紀に入ると鉱山の採掘権がブラウンシュヴァイク公らの手に渡り、ゴスラー市自体の経済的な支配力は徐々に低下していったと伝えられている。

2010年に登録範囲へ加えられたオーバーハルツ水利管理システムは、鉱山の坑内排水や鉱石を砕く水車などを動かす動力源として、13世紀頃から16〜19世紀にかけて整備が進められた貯水池・水路網である。最盛期には100を超える貯水池と、総延長300kmを超える水路が築かれ、800年以上にわたりハルツ地方の鉱業を支える動力インフラとして機能したとされ、近代以前の水利用システムとしては世界でも有数の規模を誇るとされる。

よくある質問

Q. ランメルスベルク鉱山はいつまで採掘が行われていましたか
A. 記録では968年に採掘が言及されており、1988年に閉山するまで1000年以上にわたって採掘が続けられたとされています。

Q. ゴスラーの皇帝居城はなぜ建てられたのですか
A. ランメルスベルクで産出する豊富な銀鉱脈に着目した神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世が、11世紀初頭に鉱山の麓に居城を築いたと伝えられています。

Q. オーバーハルツ水利管理システムとは何ですか
A. 鉱山の排水や水車の動力源として13世紀頃から整備された貯水池・水路網で、最盛期には100を超える貯水池と300kmを超える水路がハルツ地方の鉱業を支えたとされています。

Q. この世界遺産はいつ範囲が拡大されましたか
A. 1992年の登録後、2008年と2010年の2度にわたり範囲拡大が行われ、2010年にはオーバーハルツ水利管理システムが新たに加えられました。

旅行情報

ランメルスベルク鉱山跡は見学用に整備された鉱山博物館(Rammelsberg Museum und Besucherbergwerk)として公開されており、坑内見学ツアーなどを通じて採掘の様子を体験できるとされる。隣接するゴスラーの旧市街は木組みの家並みが残る歴史地区として知られ、皇帝居城(カイザープファルツ)も見学が可能とされる。オーバーハルツ水利管理システムの遺構は、クラウスタール=ツェラーフェルトなど周辺の町を拠点にハイキングコースとして巡ることができると案内されている。
写真
ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム
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