古都平遥
Ancient City of Ping Yao

概要

古都平遥は、中国山西省の内陸部に位置する城郭都市で、明・清時代の伝統的な中国の都市の姿を今日まで良好に伝えている。1997年に世界遺産に登録されたこの都市は、19世紀に中国全土の金融取引を担った拠点として栄えた歴史を持ち、城壁に囲まれた町並みそのものが、当時の繁栄と都市計画の到達点を物語っている。

基本情報
中国
1997年:新規登録
検定ではここを覚えよう
  • 保有国: 中国
  • 登録状況: 1997年:新規登録
  • 区分: 文化遺産
  • 登録基準: (ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)
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詳細情報
清代に 金融業の中心として繁栄した古都。
明代から清代伝統的な中国都市の面影をよく残している。
その都市構造は5世紀以上にわたる中国の建築様式の都市計画の典型である。
特に関心をひくのは、壮大な建造物が銀行と組み合わされている点であり、このことから平遙が18世紀と19世紀の全中国における中心地であったことがわかる。
近郊の双林寺と鎮国寺も世界遺産に登録されている。

もっと詳しく

現在の城壁は1370年、明代初期の大規模な改修によって現在の姿となったとされ、全周は約6.4キロメートルに及ぶ。高さ約10メートル、基部の幅8〜12メートルという堅牢な構造で、72の望楼(敵楼)と3000にのぼる胸壁(女墻)を備え、中国に現存する城郭建築の中でも保存状態の良い事例の一つとされている。

19世紀、平遥は中国全土に及ぶ金融ネットワークの中心地として繁栄した。1823年に設立されたとされる「日昇昌」は、中国で最初期の為替業務を手がけた金融機関の一つとされ、最盛期には30以上の支店を国内外に展開し、日本やシンガポール、ロシアにまで業務を広げたと伝えられている。清朝の衰退とともに経営は次第に立ち行かなくなり、1914年に日昇昌は閉店したとされる。現在、その建物は記念館として公開され、当時の会計帳簿や貨幣、営業の様子を再現した展示が見られる。

登録基準(ii)(iii)(iv)のもとで評価されている。(ii)は建築や都市計画における価値観の交流を示すこと、(iii)は文化的伝統の証拠であること、(iv)は歴史上の重要な段階を示す建築・都市計画の顕著な例であることを意味する。平遥の場合、500年以上にわたり継承されてきた伝統的な中国の都市構造と、金融業の中心地としての歴史的役割の両面が評価の根拠となっている。

世界遺産の構成資産には、平遥古城本体に加え、郊外にある双林寺と鎮国寺も含まれている。双林寺は彩色塑像の宝庫として知られ、鎮国寺の万仏殿は五代十国時代にまで遡るとされる木造建築として、中国建築史上重要な位置を占めている。

よくある質問

Q. 平遥はなぜ世界遺産に登録されたのですか?
A. 明・清時代の伝統的な中国の都市構造を良好に伝える城郭都市であり、加えて19世紀に中国全土の金融取引の中心地として栄えた歴史的役割が評価され、登録基準(ii)(iii)(iv)のもとで1997年に世界遺産に登録された。

Q. 日昇昌とはどのような施設ですか?
A. 1823年に設立されたとされる金融機関で、中国最初期の為替業務を手がけた存在の一つとされる。最盛期には国内外に多数の支店を展開したが、清朝の衰退とともに1914年に閉店したと伝えられている。現在は記念館として公開されている。

Q. 平遥古城の城壁にはどのような特徴がありますか?
A. 全周約6.4キロメートル、高さ約10メートルに及ぶ明代の城壁で、72の望楼と3000の胸壁を備える。中国に現存する城郭建築の中でも保存状態が良いことで知られる。

Q. 双林寺・鎮国寺とはどのような関係にありますか?
A. いずれも平遥古城と合わせて世界遺産の構成資産となっている郊外の寺院で、双林寺は彩色塑像、鎮国寺は五代十国時代に遡るとされる木造建築で知られている。

旅行情報

太原市内から高速道路で約1時間半ほどでアクセスできるとされる。城壁内は徒歩での見学が可能で、城壁自体も有料で上ることができ、一周すると約6キロメートルの道のりとなる。郊外の双林寺・鎮国寺へは、古城内からチャーター車などで移動するのが一般的とされる。
写真
古都平遥
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