古代都市ボスラ
Ancient City of Bosra

概要

シリア南部に位置する古代都市ボスラは、黒色の玄武岩を用いて築かれた保存状態の良いローマ劇場で知られる世界遺産です。かつて隊商交易路の要衝として栄え、ナバテア王国、ローマ帝国、ビザンツ帝国、イスラーム王朝と、幾重にも重なる歴史を伝える遺構が残ります。現在は紛争の影響により、UNESCOの「危機にさらされている世界遺産」リストに登録されています。

基本情報
シリア
1980年:新規登録,2017年:範囲拡大
検定ではここを覚えよう
  • 保有国: シリア
  • 登録状況: 1980年:新規登録,2017年:範囲拡大
  • 区分: 文化遺産
  • 登録基準: (ⅰ)、(ⅲ)、(ⅵ)
世界遺産検定 対策トップへ »
詳細情報
黒玄武岩で築かれたローマ劇場が良好な状態で残る古代都市である。
かつては隊商交易路の要衝として栄えた。
ローマ・ビザンツ・イスラームの重層的な歴史を伝える遺構が残る。
現在は紛争の影響により保存状態が懸念されている。

もっと詳しく

ボスラは古くからの集落を起源とするとされ、ナバテア王国の時代には「北の都」と呼ばれる重要な拠点として発展した。西暦106年にローマ帝国に征服されると「ノヴァ・トラヤナ・ボストラ」と改称され、ローマ属州アラビアの州都として栄えたとされる。隊商交易路メッカ道の要衝としても機能し、最盛期には多くの人口を抱える都市であったと考えられている。

市内に残るローマ劇場は、皇帝トラヤヌスの治世下にあたる2世紀に建設されたとされる。直径約102メートル、収容人数はおよそ1万5000人規模とされ、多くのローマ劇場が丘の斜面を利用して建てられるのに対し、独立式(自立式)の構造を持つ点が特徴とされる。黒色の玄武岩を用いた外観は、周辺地域の他のローマ遺跡には見られない独特の景観を生んでいる。中世期には劇場自体が要塞・城塞として転用され、これが結果的に建物の保存に寄与したとされる。

登録基準(i)(iii)(vi)は、それぞれ黒玄武岩の劇場に代表される建築的独創性、ナバテア・ローマ・ビザンツ・イスラームという複数の文明が層状に重なる稀有な証言としての価値、そして隊商交易路の要衝としての歴史的な出来事や伝統との関連性を評価したものとされる。また2017年には資産の境界及び緩衝地帯に関する軽微な変更が承認されており、危機遺産としての登録状況自体はその後も継続している。

UNESCO世界遺産委員会は2013年、シリア国内の武力紛争により、顕著な普遍的価値を維持するための保全条件がもはや満たされていないとして、ボスラを含むシリア国内の世界遺産6件を「危機にさらされている世界遺産(危機遺産)」リストに登録した。以降も複数回の会合(2015年・2016年・2017年など)で、危機遺産としての登録継続が確認されている。なお、その後の現地における詳細な保全状況については、独立した複数の情報源での確証が得られる範囲が限られるため、本ページでは具体的な言及を控えている。

よくある質問

Q. 古代都市ボスラはなぜ危機遺産(危機にさらされている世界遺産)に登録されているのですか?
A. 2013年、UNESCO世界遺産委員会は、シリア国内の武力紛争の影響により顕著な普遍的価値を維持するための保全条件が満たされなくなっているとして、ボスラを含むシリア国内の世界遺産6件を危機遺産リストに登録した。以降も複数回の会合で登録継続が確認されている。

Q. ボスラのローマ劇場にはどんな特徴がありますか?
A. 2世紀、ローマ皇帝トラヤヌスの時代に建設されたとされ、黒色の玄武岩を用いて築かれた点が特徴。直径約102メートル、収容人数は約1万5000人規模とされ、多くのローマ劇場が丘の斜面を利用するのに対し、独立式の構造を持つ点でも珍しいとされる。

Q. ボスラはどのような歴史を経てきた都市ですか?
A. ナバテア王国時代には『北の都』と呼ばれる重要な拠点であったとされ、106年のローマ征服後はローマ属州アラビアの州都として栄えた。その後ビザンツ帝国、イスラーム王朝の支配を経て、各時代の建造物が層状に残る都市となっている。

Q. 現在ボスラを観光で訪れることはできますか?
A. シリア国内の情勢を踏まえ、本ページでは現地の観光・訪問に関する具体的な案内は掲載していない。渡航を検討する場合は、各国政府の渡航情報など最新かつ公的な情報源を必ず確認してほしい。

写真
古代都市ボスラ
ページトップへ戻る