イラン南東部シースターン・バルーチェスターン州の砂漠地帯に残る、「燃えた都市」を意味する青銅器時代の都市遺跡。
紀元前3200年頃に築かれ、紀元前1800年頃まで4つの主要な時期にわたって存続した、東イランにおける初期複合社会の出現を示す遺跡である。
総面積は
約151ヘクタールに及び、記念建造物区・住居区・墓地区・工房区が明確に分かれて配置されていた点が特徴的である。
西側に広がる墓地区は面積約25ヘクタールにおよび、
推定2万5000〜4万基の墓が確認されている。
乾燥した砂漠気候により保存状態が良好で、当時の生活・交易の様子を伝える多数の副葬品が出土した。
水路の変化や気候変動により、紀元前2千年紀初頭にかけて放棄されたとみられる。
2014年、青銅器時代の複合社会の出現を伝える遺跡として
世界遺産に登録された。
登録基準はii(文化交流の証拠)、iii(文明・伝統の証拠)、iv(建築・技術・景観の顕著な例)。
【検定ここが出る】「燃えた都市」の名を持つ点、約25ヘクタールに及ぶ大規模な墓地区が確認されている点が問われやすい。